レフトハンデッド・トランペットとスタディ

1983年のクラウド・ゴードン国際ブラス・キャンプ
を終えてからの私の大学生活は
どちらかといえば順調だったように思える。

まぁ、チョットぐらい
アメリカに行って帰ってきたからといって
特にない能力が急に身についたりするわけでもないのだが、・・・
(今振り返って、私はさほどたいして優秀な方ではなかったと思う)


ただし
モチベーションが上がったのは確実だった!!

練習もそれまで以上にやるようになった。


その甲斐があってか、
1983年の大阪芸大の室内楽とウインド・オーケストラの定期演奏会で
非常に重要なパートに抜擢されたり、
またその後の
大学の対外的な公演のメンバーにも選ばれたりする機会が
増え始めたりした。

時々、嫌味を言ってくる先輩方は確かにいらっしゃったが、
単なる雑音のようなもののように感じていて、
全く気にせずに練習にも集中して打ち込むことができた。


そのまま何の問題もなく
どんどん上手くなっていけるかのように思っていたのだが・・・

 1983年12月6日(この日付は、今もハッキリと覚えている)の朝一番にトランペットを吹こうとした時、右手人差し指に違和感を感じた。[ミ・ソ・ミ・ソ〜]と吹こうとすると、[ミ・(ファ)・ソ・ミ・(ファ)・ソ〜]となってしまう。バルブ・ポジションで表すと[1・2⇒Open⇒1・2⇒Open〜]とやろうとすると、[1・2⇒(1)⇒Open⇒1・2⇒(1)⇒Open〜]という感じだ。つまり、人差し指を持ち上げようとすると、他の指に比べて明らかに遅くなってしまっているのだ。“変だなぁ〜?”と思って、そばに居たトランペットの同級生数名に“チョットすまんけど・・・[ミ・ソ・ミ・ソ〜]ってやってみてくれへんかなぁ〜”と頼んでやってもらった。(当たり前の事だが)同級生たちは全員普通にできた。私は、何回やっても[ミ・(ファ)・ソ・ミ・(ファ)・ソ〜]となってしまうのだ。私は、この時初めて自分の体の異常を自覚した。

 原因はハッキリとはしないが、おそらく(正しくない状態での)練習のやり過ぎのせいではなかったかと(今現在振り返って)想像している。毎日、日課練習を消化するだけで5〜6時間かかり、その後、曲などの練習を始めるといったペースで練習していた。実際問題、曲などの練習に取り掛かろうとするときは、既にバテてヘロヘロになっている状態だったし、ゴードンのところで、クラークのテクニカル・スタディは“右手小指は指掛けにかけず、指を高く上げて俊敏に動かす”という風に聞いていたので、やみくもにただ力んで吹いていたのではないかと思われる(確かに、日課練習が終わる頃には毎回、右腕前腕部が腫れて“Pump Up”していたように記憶している)。

 大阪の大きな総合病院(阪大病院、日赤病院など)や中国針など、思いつく治療はほとんど試してみたが、すぐには回復することはなかった。

 そのままでは演奏は困難で、今までとは逆の持ち方で、つまり右手で楽器を持ち左手の指でバルブを操作するしか、喇叭吹きとしては生き残る術がなくなってしまったのである。しかしながら、長年、右手指でやっていたものを、急遽、左手指にスイッチするのには、実際問題、すぐには無理である。私は、日赤病院でもらった“右手指運動障害”と書かれた診断書を大学に提出し、2回生の後期実技試験を棄権しなければならなくなったのである。

2回生の後期実技試験を棄権した後は、
大学の対外的な公演のメンバーに選ばれていたものを、
次々に辞退して回らなければならなかった。

掲示板にメンバーが張り出される度に
管弦打研究室に辞退を申し出に行っていた・・・
全員に事情を報せている訳ではなかったので、その都度、一々説明をさせられた。
このようなことを繰り返しているうちに、
私は、何のメンバーにも選ばれることがなくなってしまったのである。
(それはそれで良かったと思う・・・吹けないのだから・・・仕方がない)


こうして私は、
3回生の前期実技試験で
“左手の喇叭吹き”として再スタートすることを目標に
決意を新たにしたのだった。

 私は、このような状態になってしまったことをゴードン・キャンプでお世話になった杉山正氏に相談した。すると、杉山氏は、『左右が逆になっている楽器を注文すればいいよ!注文できるはずだよ!』、『俺が注文しておいてやるからさぁ〜、今度(84年)のゴードン・キャンプの時に受け取れるようにしておいてあげるよ!』と言ってくださった。

 “地獄に仏とは、このことなのか”と私は救われたような気がした。私は、杉山氏に対して感謝してもしきれないほどの気持ちで胸が一杯だった。言葉では表現できないほど嬉しかった。

私は、
1984年のクラウド・ゴードン国際ブラス・キャンプで
私が再起を果たすための新しい楽器を受け取ることができることを信じて、
必死で左手で練習した。


それから約半年後、
待望のクラウド・ゴードン国際ブラス・キャンプに行くことになるのだが、
渡航費や新しい楽器の購入資金が必要なので
当時、持っていたピッコロ・トランペット以外の全ての楽器を売り払い、
一時的ではあるけれども
楽器を所有していない音大生になっていたのであった。

それだけに、
新しい左手用の楽器への期待が、いっそう高まっていたのだ!

 クラウド・ゴードン国際ブラス・キャンプの会場に到着した私は、真っ先に新しい楽器を受け取りにキャンプ内にショップを出店しているラリー・スーザ(ゴードンの直弟子で、サンフランシスコで楽器店を持ちプレイヤー稼業もやっている)のところへ行った。私が『注文していた左手用のトランペットを受け取りに来ました!』と言うと、ラリー・スーザは『何の話だ?』、『そんな話は、元から聞いていない!』と、うっとおしそうに言った。私は、訳が分からなくなってしまった・・・それと同時に、目の前が真っ白になってしまったのであった。

 私は、すぐに杉山氏に訴えた!!『杉山さん、いったい全体どうなってるんですか?!』、『キャンプで受け取れるようにしているって言ってたんじゃないんですか?!』、『日本で持ってる楽器を全部売り払ってきたんですよ!どうしてくれるんですか?』、『楽器なしで今から始まるゴードン・キャンプをどう過ごせって言うんですか?』等など・・・・わずか2m程しか離れていない杉山氏に向って必死で訴えた。しかし、驚くべき事に杉山氏は、私がまるで透明人間であるかのごとく、何事もなかったかのように完全無視を貫き通したのだ!!日本ではあれほど親身になって相談に乗ってくれていたのに、ゴードン・キャンプに来た途端に掌を返したような態度に急変したのだ(まるで別人のようだった)!私は、激怒した!!そして決心した!『明日、日本に帰る!そしてトランペットもやめてやる!当然、大学も退学だ!』

 すぐさま私は、日本に帰る前にやるべき事を想いつき、キャンプの通訳者のリッチ・クラークを従えてクラウド・ゴードンが宿泊しているキャビンに向ったのである。

私は、
長年やってきたトランペットをやめ大学を去るにあたり、
世界的に有名なクラウド・ゴードンに向って
言いたいことを全て吐き切って
自分の喇叭人生に終止符を打とうと
決心したのだった。
(考えてみれば、ゴードンにしてみたら迷惑な話だと今は思うが・・・)


さすがにこの時ばかりは、
杉山氏の介入の余地などは全くなく、
前代未聞のクラウド・ゴードンへの直談判となった次第である。

 私は、まずことの経緯を通訳者のリッチに説明し“私の怒りをそのまま、和らげた表現など一切使わずに”クラウド・ゴードンに伝えてくれるように頼んだ。以下、通訳者リッチを介しての私とクラウド・ゴードンとのやりとりを忠実に再現したい。


私:『クラウド・ゴードンは、多くの悩める金管プレイヤーを救ってきたと聞いているが、実際は、その影に葬り去られた多くの犠牲者がいるのではないのか?』、『あなたは、たまたま上手くいって有名になった金管プレイヤーの弟子を広告塔のように使い、教則本の裏表紙に推薦文でも書かせて、さも全てのプレイヤーを救えるかのような宣伝をしているような偽善者に過ぎないのではないのか?』

ゴードン:『いいや、そんな事は決してない!本人が、あきらめずに努力してくれる事を約束してくれさえしていれば、私は例外なく全ての悩める金管プレイヤーを救ってきた!私は自信を持ってそう言える。』

私:『じゃあ、この俺はどうなんですか?俺は明日、日本に帰って、トランペットと大学も辞めるんですよ!闇に葬り去られるんですよ!』


 ゴードンは、通訳者のリッチに向って『この男は、なぜこんなに興奮しているのかね?何があったのかね?』と聞いた。リッチは、私の右手人差し指の状態、左手用の楽器を注文したができていなかった経緯などを説明した。するとゴードンは、私に向って話しを再開した。


ゴードン:『今からいいものを聞かせてやるから少し待っていなさい。』


 ゴードンは、隣室からラジカセを持ち出し私に聞かせてくれたのだった。ジェームス・バーク自作自演のダンツァ・アレグラという曲だった(実は、私はこの演奏をNHK-FMで聞いたことがあり、知っていた)。聞き終わると・・・・


ゴードン:『これを聞いてどう思いましたか?』

私:『素晴らしい演奏だとは思うけれど、今の私には関係がない。話をはぐらかすつもりですか?』

ゴードン:『では、このジェームス・バークというトランペット奏者はどのような姿で演奏していると思いますか?』

私:『そんなこと俺の知ったことか!この俺は、闇に葬り去れているのかどうか答えろ!』

ゴードン:『このジェームス・バークは、昔の戦争で右手首から先を失っていて、右腕前腕部にトランペットを載せ左手でバルブを操作して演奏していました。』、『あなたは、確かに右手の指を故障しているかもしれませんが、楽器を支える指を失ってはいません。右手で持って、左手で操作する方向でもう一度頑張ってみませんか?』

私:『だから・・・そのつもりでこの半年の間、左手で一生懸命練習してきたんですよ!』

ゴードン:『可能性の全てを試しもしないでやめるというのは、ただの挫折に過ぎない!あなたは今やめるべきではない!最後の可能性まで試してみないのかね?』

私:『でも、・・・試したくても、俺には楽器が無いんです!!と、さっきから言っているんですよ!』

ゴードン:『ちょうど今ここに、アメリカン・セルマー社のマネージャーが来ている。私が、彼に頼んでやる。』


 ゴードンが、セルマー社のマネージャーに話しかけた。


ゴードン:『確か、V.Bachのトランペットのオプションに“レフトハンデッド・トランペット”というのがあった筈だ。彼(私の方を指して)のために大至急、レフトハンデッド・トランペットを用意してくれたまえ!ボア・サイズは、ML。ベルは、72ベル。リードパイプは、43パイプが良い。仕上げはラッカーだ!納期はどのくらいだ?』

セルマー社マネージャー:『ハイッ、2週間です。すぐに手配いたします!』


 このようなやりとりの末、出来上がった楽器がこの頁のトップの写真の楽器だ!ゴードンが私のために直接セルマー社に注文してくれた“V.Bach 180ML72(w/43 Leadpipe)Lefthanded Trumpet #242751”だ!!

感情むき出しで無礼極まりない私の口調とは正反対に、
クラウド・ゴードンは、
終始、穏やかな口調で私の問いかけに答えてくれていた。

もうご本人にお会いすることはできないが、
この場を借りて、無礼のお詫びと丁寧な対応のお礼を
申し上げたいと思う。




結論:クラウド・ゴードンは本当に誠実でいい人だった!!



この後、左手のトランペット奏者になるにあたり
ゴードンからいろいろためになるアドバイスをいただいた。
ごく短時間ではあったが、非常に勉強になった!!

全てのキャンプ参加者の誰よりも、
もしかすると・・・直弟子の方々の誰よりも(お〜っと、これは冗談ですが・・・)
たいへん得をしているのではないかと
(当時の私は)思っていた。

 ゴードンから教わった情報には、非常に興味深いものがあった。“普通に右手で演奏している人であっても、左手で右手でやっているのと同じくらいになるように練習するのは、脳科学的にも有効である”とのことで、これは“レフトハンデッド・スタディ”と呼ばれるもので、既にアメリカのどこかの大学でこの件についての論文を書かれている方がいらっしゃるのだそうだ。

 また、“左手で練習するのも右手で練習するのも、基本的には全く何も変わらない。要は、いつ、何をどのようにすれば上達する事ができるのかを見極める思慮分別が必要となる。それが見極められるようになりさえすれば、別に私に習わなくても上達することが出来る!頑張りたまえ!”とも言っていただけた。

 ごくわずかの時間内でありながら、私は、何年分にも相当する学習をさせていただいたような気がしていた。

また、
セルマー社のマネージャーからも
日本で流通しているV.Bachのトランペットと
アメリカで流通しているものとの違いについての情報や、
アメリカ国内で程度の良いV.Bachのトランペットが出荷されている先として
New Yorkのマンハッタンにある
Giardinelli Band Instrument Company Inc.を
紹介していただいた。

結果的に
後の私の活動に関わる重要な情報を得た事になった。

 このようにして、めでたく楽器を2週間後に手に入れる目途がたったものの・・・それまでは、手元に楽器が無いということだ!つまり、今から始まろうとしているクラウド・ゴードン国際ブラス・キャンプをどのように過ごさなければならないかという問題が残っていた。しかしながら、この問題もあっさり解決した。

 これから始まろうとしているゴードン・キャンプの期間中に使える楽器が無いことをゴードンに話した時、通訳のリッチが私に『僕は、通訳で忙しいくて、おそらく吹いたりすることはないから、僕の楽器を使ってくれていいよ!』と言ってくれて、リッチ所有のセルマーのクラウド・ゴードン・モデルを借りる事になった。『ああ、それから・・・新しい楽器ができるまで日本に持って帰って使っていてもいいよ!』とまで言ってくれた。リッチは、当時、日系企業の川崎航空という貨物会社のサンフランシスコ支社に勤務していた。出来上がってきた楽器をリッチが責任を持って発送してくれると約束してくれ、また、その楽器を受け取りに行く時、それと引き換えに大阪税関にある川崎航空の事務所にリッチの楽器と交換するという手筈になった。当初は2週間の予定であったが、結局のところ4週間ほどかかったが、無事に楽器を受け取ることができた!!

 “捨てる神もあれば、拾ってくれる神もあり!”私は、またしても救われた。また、凄く嬉しかった!リッチには、感謝の言葉もない!!
                   

そんなこんなで、
めでたくレフトハンデッド・トランペット奏者として再起したものの・・・
世の中、そんなに甘いものではなかった。


最初は単純に、
マウスピースは唇の同じ場所に当てているので
単に左手指の器用さの問題だけで乗り切れるのではないかと思っていた。

確かに
同じ場所にマウスピースを当てているのだが、・・・

アンブシュアに対して当てる角度やバランスが全く違っているせいか、
サウンド自体もかなり劣化しているし、
ましてやコントロールなどについても
前に右で吹いていたときのようには上手くいかない。


もしかすると、
私はこの時、本当の意味における奏法(アンブシュア)の
問題に初めて直面したのではないかと
思えるほどの状態だったのではないかと
今の私が
振り返ってそう思うほどである。




結局、大学時代(4年までの間)に
私は、
このレフトハンデッド・トランペットを
上手く吹きこなす事が
できなかった。

3回生の前期&後期実技試験と
4回生の前期(大阪芸大は、当時、4回生は後期の卒試のみだったので)に
2回生の後期分実技試験の追試うけるところまで、
このレフトハンデッド・トランペット
を使って受けたが、
結果は惨憺たるモノであったことは言うまでもない。


おまけに
一部の先輩方たちから
『クラウド・ゴードンのところへ行って潰れたんや〜』とか『森下治郎に対する反逆罪の天罰が下された!』などと
言われたりするようにもなっていった。

また、
室内楽の授業の時、後輩や同期達が大勢いる中で、
最も尊敬していた森下先生からも
『独りよがりで勝手な事ばかりやってきたから、そんな簡単なフレーズも吹かれへんのや!』
とまで言われ、吊るし上げのような目にあったこともあった。
(ショックだった)


大学生活の後半は、まさに地獄であった。

私は、
まるで、車椅子の人に向って『お前、何で自分の足で走れへんねん?』
と言っているみたいな理不尽さを感じていた。
悔しさのあまり、誰もいないところで独り涙を流したこともあった。
しかしながら、
喇叭の世界と言うものはそういうものだ。
吹けなければ何の価値もないのだ。

絶対に上手くなってやる!!
上手くなって、こいつら全員、見返してやるぞ!!
と私は心にそう強く刻み込んだのであった。



4回生の後期の卒業試験の時は、
ほんのわずかではあるが右手人差し指が回復し
第2関節あたりでピストンボタンを押せば
なんとか演奏できるようになったので
普通の右手のトランペットで試験を受けた。

結局、私は、
大学4回生が終了するまでに
ゴードンと約束したレフトハンデッド・トランペットで最後まで頑張ることもできなかったし、
また、
“森下治郎に褒められたい”という大学入学当初からの野望も
果たすことはできなかった。


このように、この年代の私には、
このレフトハンデッド・トランペットにまつわるいろいろな事が山ほどあった。

楽器ができていないことを知らされた時、
完全無視を貫いた杉山氏のことを本当にヒドイ人だと思って怨みもしたが、
もし、あの時、私を無視せずに
中途半端にでも詫びを入れてくれていたとしたら、・・・
クラウド・ゴードンとの直談判も
アメリカン・セルマー社のマネージャーとも知り合うこともなく、
(ということは、Giardinelliを紹介してもらうこともなく)
私はトランペットをやめ、大学を退学していたに違いない!!

考えようによると、
あの時、杉山氏が私に対して完全無視をしてくれたおかげで
今日の私があるとも思えることができる。
(もしかすると、私のためにワザと聞こえない振りをしていただけていたのではないかという解釈をすることすらできる)
本当にありがとうございました!!



大学時代後半、
確かに当時の私にとっては、辛い地獄のような日々に感じていたかもしれないが、
今思えば、あの時の悔しさや苦しさをバネにすることができたからこそ、
私を強く育てていただけたように思えてしかたがないのだ!
当時の大学関係者の方々には深く御礼申し上げる次第である。

ただ、入学当初からの私の野望に関しては
今だに果たすことはできていないが、
今現在も有効で、
機会があれば、いつの日か
必ずこの野望を達成できるよう努力し続ける所存である。





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