クラウド・ゴードン国際ブラス・キャンプ





私は、
大学2年と3年の時(1983年&1984年)に
クラウド・ゴードン国際ブラス・キャンプ”に参加した。

上の写真は、
1983年の時にゴードンから貰ったサイン色紙に
ゴードンとマークというアメリカの学生と私で撮影した写真とゴードンに貰った名刺を
貼り付けたもので、
前述の“チモフェイ・ドクシツェル”の色紙同様に、私の大切な宝物として
喇叭吹奏道竹浦塾・大阪本部道場の壁に飾っている。



このブラス・キャンプへの参加経験は、
当時の私に非常に重大な影響を与えてくれたことに間違いはない。

今振り返ると、
良い意味においても悪い意味においても
結果的に
その後の私の喇叭に多くの課題を与えてくれたことになるような・・・
そんなイベントであったと思える。

 私が大学に入学した頃(1982年)、日本の金管界ではマジオ・システムやペダルトーン等に続き、ジェームス・スタンプとクラウド・ゴードンが注目を集め出した頃だったのではないかと思われる。ジェームス・スタンプに師事したロサンゼルス・フィル首席のトーマス・スティーブンスの来日公演&クリニック、ジェームス・スタンプ本人の来日クリニック、またパイパーズ誌に掲載されたクラウド・ゴードンの講演抄録の連載記事やゴードンに師事された杉山正氏の記事等など、注目のイベントや情報が目白押しだった。

 当時の私は、アメリカにでも行って自分の知らない“何か”を勉強し吸収してみたいという気持ちを持っていたが、まだ非常に漠然としたものであった。実のところ、マジオでもスタンプでもゴードンでも・・・どれでも良かったような感はあった・・・要するに何も分からない状態であったといえる。しかしながら、パイパーズ第9号に掲載された“トランペット「苦行僧」杉山正の900日+α”という記事の最後に杉山氏のコメントで「今年のキャンプ、いっしょに行きませんか?(-中略-)ご興味のある方は電話で問い合わせてくれると良いんですが。」と書かれていて杉山氏のご自宅の電話番号が表記されていたことが、私がクラウド・ゴードンに強く興味を持つようになったそもそものキッカケとなったのではなかったかと思えるのだ。そして数ヶ月間考えに考えた末(勇気を振り絞って)私は、記事のコメントの通りに杉山氏に電話をして、1983年のキャンプに参加できるようスケジュール調整したのだった(パイパーズ第9号が発売されたのが1982年のキャンプはもうあと僅か数ヶ月後に迫っていた時期で、私が杉山氏に電話した時は既に終了していたため、1982年のキャンプには間に合わず、結果的に1983年と1984年の2回参加にすることになった)。

 1983年のキャンプに参加するまでの間、杉山氏は私の熱意が冷めないよう(より高まるよう)にアメリカの凄いトランペットの演奏をカセットテープにダビングしてはよく郵便で送ってくれていたことを思い出す。中でも最も印象的だったのはDoc Severinenの“Rhapsody for Now!”というアルバムだ!!あとRafael Mendezなども強烈だった!!私は、ゴードンのやり方を習得すればこのような演奏ができるようになるとすっかり信じ切りながら、“Kタング・モディファイド”や“Kタング”他、あらかじめ杉山氏に教わったことを必死に練習していたことを思い出す。アメリカに行く前から既にカルチャー・ショックを受けていたことはまず間違いない。この時の杉山氏には大変感謝している!!

大阪芸術大学演奏学科(トランペット専攻)一回生で、
いわば大学に入学したばかりの状態
でありながら
私が、なぜアメリカに行ってでも勉強してみたかったのかというと・・・
実は、ある健全な野望があったからなのだ。
(他人から見れば些細な事のように見えるかもしれないが、私には大きな野望だったである!)

現在の私は、
喇叭に関していろいろな事を達成し実現できているかのように思われがちだが、
この野望に関してだけは
未だに達成する事ができていない壁なのである。





正直のところ・・・ただ、単純に
“あの人に褒められたかった”というだけのことだったのだ。

私が中学を卒業して以来、ずっと憧れ
常に近くて遠いその背中を追い続けて夢にまで見て目標にしてきたあの人だ!
森下治郎
つまり、私の大学の恩師・森下先生のことだ。




大学のレッスンで森下先生にこのアメリカ行きを相談したところ、
さっくばらんに
『行って来い!!ただし、俺の知らん事を習ってきたら秘密にせずにすぐに俺に教えるんやで!!ええな?』
というふうに快諾していただけた。
(私は、そんなふうにおっしゃっていただいた森下先生の動じない余裕と懐の深さに感謝・感動していたのを今も覚えている)


事はこのまま順調に運ばれていくと思っていたのだが・・・


そのような私の想いとは裏腹に
大学内では、そのように解釈してもらえなかったことも多くあった。

そんな私のアメリカ行きを快く思わない諸先輩方がいらっしゃったのも事実だ。
ある日、3年上の2人の先輩方に呼び出され、アメリカ行きを断念するように説得された事があった。
その先輩方がおっしゃるには、
『まだ一回生なんだから卒業してからでもいいのではないのか?』
『森下先生に習っている事が、キッチリとできるようになってからでも遅くはないのでは?』
『なんとか思いとどまることはできないのか?』
等など、ということであった。

先輩方のこの説得に対して私は、きっぱりと『嫌です!!』と答えた!
(なぜならば、それでは森下先生のレッスンで褒めてもらうのに間に合わないからなのだ!)

私の回答に対してその先輩方は私に
『もうどうなっても知らんからな〜っ!』とか『森下先生に対する反逆罪だ!』などと言い始まり難儀した覚えがある。
が、その後
(その先輩方の発言が影響したのかどうかはよく分からないが・・・)
森下先生との関係が何かギクシャクとしたものに
徐々に変化していったのではないかと思われるのだが・・・
真相は未だに謎である。


とにもかくにも、こうして私はクラウド・ゴードン国際ブラス・キャンプに参加したのだった。

 クラウド・ゴードン国際ブラス・キャンプには、日本から多くのプロ奏者の方々が参加されていた。ゴードンの直弟子である杉山正氏をはじめ、クラシックの方では新星日響(当時)の長倉譲司氏(83年)、広島響の松崎祐一氏(84年)、ジャズ・ポピュラーの方では、加賀谷優氏(83年)、東京パンチョス(当時)の藤井幹夫氏(83年)、東京音大を卒業されたばかりの渡辺治彦氏(83年&84年)などの方々とご一緒させていただいた。

 ゴードン・キャンプは、朝から晩まで規則正しいプログラムで充実していた。毎日(午前中)、クラウド・ゴードン自身による講演があり、昔のコルネットの名人と呼ばれた人々の話を盛り込みながら正しい奏法に関する7つの要素(1.息の力、2.舌、3.息の調節、4.唇、5.唇と顔の筋肉、6.右手の指、7.左手)について日々語られていくという内容ものであった。日本人参加者は、各自インカムを身に着けて同時通訳(通訳は、ゴードンの弟子のリッチ・クラークという人で日本在住経験がある)を介しての受講であったので、途中、疑問などがあれば質問することもできた。同時通訳が居たことや、事前にパイパーズでゴードンの講演抄録(おそらく82年のもの)が連載されていたこともあり、また83年と84年の2回参加してほぼ同じ内容の講演を聴くことができたことで、より理解することができたように思う。ゴードンの講演の終了後(午後から)は、各講師が担当するクラスを受講することができるシステムになっていたように記憶している。夜は、ゲスト・プレイヤーによるコンサート等が開催されていた。各プログラムの合間は各自練習のやり放題である!喇叭吹きにとっては、まさに夢のような日々であったといえよう。

 ゴードン・キャンプでは、基本的にクラス形式でレッスンが進められる容をとっていて、個人レッスンを受ける機会はまずない。さいわいにも私は、講師のデイヴ・エヴァンス(元サンディエゴ響首席)の個人レッスンを受ける機会を得ることができた。J.PAUER作曲のTROMPETINAという曲のレッスンを受けた(楽譜の表紙にサインをしてもらった)。
 キャンプ最終日には、ハーバート・クラーク、ジュール・レヴィ、ボフミール・クリル等の時代の楽器のコレクションの紹介や古い名人達の録音などを聞く会が開かれた。83年か84年のどちらの会か忘れたが、ドクシツェルの演奏を聞かせた時があり、ゴードンが“まるでバイオリンのような不思議な響きのする演奏だ!”と紹介していたのが印象に残っている。また、その後のゴードンの解説によると・・・ドクシツェルと面識があるらしく、ドクシツエルはシステマティック・アプローチという教則本をロシア語に翻訳して自国で生徒にレッスンで使用させている・・・のだそうだ。

そんな充実したゴードン・キャンプなのだが
何か変だなと少し疑問に感じたような事柄がいくつかあった。
ただし、この話は
クラウド・ゴードン自身には何の問題も責任ないことはあらかじめ強調しておきたい。
(また、現在の私にとっては、どうでもいい話であることも申し上げておく)

しかしながら
私は(大阪のオバチャンのように)井戸端会議のような話題が大好きなので
私が当時感じた事を無責任に率直に述べたい。



まず第1に、後から知ったことだが、
私が参加した1983年から杉山氏は正式なスタッフ(講師)になられていたのだそうだが、・・・
他の日本人参加者と同様にインカムを装着しゴードンの講演を聴いていたし、
何のクラスか忘れたが・・・一緒に受講していたものもあったこともあり
私は知らなかった。
でも、
何かのクラスを受け持っておられたのでしょうか?
もし知っていたら受講していたと思うので、非常に残念だ!!
と(★当時の私は)思っていた。


デイヴ・エヴァンスの個人レッスンを受けた時、
アイアンの教本の中からいくつか診てもらったのだが・・・
同じゴードンの直弟子でありながら、杉山氏のアプローチのやり方と
少し違っていたのはどうしてなんだろう?
と(★当時の私は)思っていた。


次に、
他のアメリカ人の参加者は
気軽にクラウド・ゴードンに直接、自由に質問したり教わったりできるような雰囲気なのに、
いざ日本人参加者がゴードンにコンタクトを取ろうとする時に限って、
何か(利権を守ろうとするかの如き)鉄壁のガードが施されているような感じがしていたのは
私だけなのかなぁ〜?
オープンでフランクなアメリカにあって非常に閉鎖的なんだなぁ〜と(★当時の私は)感じた。


また、
一部の直弟子の方々の自意識が少々過剰気味なのではないかと感じることが多い点も挙げられる。
『ゴードンは、ああいうふうに言っているけれど、本当のところは俺たち直弟子にしか理解できないんだ』
的な発言をしばしば耳にした。
確かに、そういう部分は実際にはあるのだろうとは思うけれども・・・
せっかく先生のゴードンが講演しているのに
直弟子がまるで足を引っ張っているかの発言をしているのは
少し滑稽なものに写るような気がする
と(★当時の私は)思っていた。

さらに深く突っ込めば、
ゴードンの著作“Brass playing is no harder than deep breathing”の序言の中で
ゴードンの直弟子で外科医でもあるDr.ラリー・ミラーは、
『医者として、またトランペット・プレイヤーとして、私は両分野の“技術”に通じている。
どちらの分野においても(手術室であれステージであれ)、自分の技術の神秘性や魔術的な要素を
強調する事で地位を築いた人物を私は知っている。ゴードンはこのような神秘性を切り崩す能力を持っているし、
上達を志すプレイヤーに混乱と落胆をもたらすレトリックの呪縛を論破する能力を有している。〜』
と述べられているにもかかわらず、
その一方で
一部の直弟子の方の一連の発言は、逆に神秘化されているように見えてしまえる
ところに(★出版当時の私は)矛盾を感じていた。


★注意:現在の私は、何も思っていないし感じもいたしません。お間違いのないように!!★



1983年と1984年の計2回の
クラウド・ゴードン国際ブラス・キャンプへの参加となったのだが、
私にとって83年に比べて84年では
天国と地獄ほどにも違うような体験をすることになった。
続きは次頁(レフトハンデッド・トランペットとスタディ)で述べる事とする。




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